防府市美術連盟の概要

  昭和26年(1951年)の7月に、山口県美術展の当市での開催を機に「防府市      の美術文化の向上に寄与する」ことを目的として、医師であった鰐石俊男氏を  初代会長として発足した。主に防府市美術展の開催を例年の行事とし、講習会や研究会・展示会を、部門の枠を超えて行う事を当初よりの基本的な活動とし、第二代会長(1988年〜1991年)内田周一氏、第三代会長(1992年〜2003年)藤川章造氏を経て、現会長の下尾周男氏を中心にこれからも、防府市の芸術文化の向上と、地元アーチストの育成に励む団体である。


<山口県美術展>
 
昭和 21年(1946年)に県美術文化連絡会が設立。山口県在住の美術関係者に呼びかけ、山口市の現中村女子高等学校の旧講堂で開かれた展覧会を第一回展とし、第五回展からは県が共催となっていった。開催会場は第21回展の山口県立美術館に落ち着くまで、県下を持ち回る移動方式であった。

<鰐石俊男>(1907〜1990) 歯科医師・防府市美術連盟初代会長

 防府市の文化芸術を語るには無くてはならない人である。現在、全国五十以上の支部を持つチャーチル会の東京に次ぐ一番最初の支部を防府に作ったり、当時公選制であった市の教育委員に選ばれたり、という所からも人望の厚さが伺える。
 作品は風景画が主で、本職はあくまでも町の歯医者さんである。43歳の時から本格的に絵を描き始め、日曜画家として絵を愛し旅を愛し絵を描く仲間を愛した。しかし趣味の世界と一言で言い切れない足跡を有形・無形で後世に残している。
 なを、昭和56年の受賞は本職の歯科医療を対象としたものである。

 現在の防府市美術展の鰐石賞は鰐石氏の寄付による。

昭和26年 (1951年) 2月、チャーチル会防府(東京に次ぐ第一支部)発足。初代幹事長。
同6月、防府市美術連盟を発足。初代会長に就任。
昭和27年 (1952年) 初代防府市教育委員就任(当時公選制)
ヨーロッパへのスケッチ旅行で、14カ国以上の風景画を描き歩いた。画集「印象(IMPRESSION)」1(1977年)・「同」2(1980年)・「同」3(1983年)はその時の風景画を中心に編集、出版された。
昭和49年 (1974年)
二科展、山口県美術展等、入選多数
防府の文化を高める会表彰(美術)受賞。
(1970年)
昭和45年
勲五等雙光旭日章受章。
(1981年)
昭和56年
年6月死去
(1990年)
平成2年
<内田周一>(1922〜1992)教育者・洋画家 防府市美術連盟第二代会長

 防府市みたいな地方でモダンアートの世界に生きた人がいたのだと、考えるだけで嬉しい気持ちになる。今の様な情報社会では無い時代にである。元々、東京美術学校(今の東京芸術大学校)に入学していたのだから、戦争が無かったらどういう事になっていたのかと、思わず想像してしまう。
 学校の先生よりも芸術家であろうとし、昇進の試験を何度か見送ったとも聞く。そんな事とは知らずに中学校の先生として、慕わしく思い出す人も多いはずである。

16歳から絵を志し、18歳の時山口県選抜美術展に香月泰男氏等と出品。
昭和16年 (1941年) 山口師範学校卒業。大潮国民学校へ奉職。
昭和17年 (1942年) 東京美術学校入学。学徒動員にて出征
昭和21年 (1946年) 出征地南京より帰国。
第7回山口県美術展初入選。(以来第8回・第11回・15回・第21回展入選)
昭和28年 (1953年)
二紀会展初入選。
(1955年)
昭和30年
金賞受賞、以後1961年まで出品
(1957年)
昭和32年
創元展初入選
(1960年)
昭和35年
モダンアート展初入選(以後毎年出品)
(1962年)
昭和37年
モダンアート協会会友に推挙
(1970年)
昭和45年
(1973年) モダンアート会友賞受賞
昭和48年
モダンアート協会会員に推挙
(1974年)
昭和49年
造形教育研究会防府支部長就任(〜1983)
(1975年)
昭和50年
防府市立桑山中学校退職・山口芸術短期大学に奉職
(1982年)
昭和57年
サロン・ドートンヌ展初入選(〜1990)
(1986年)
昭和61年
防府市美術連盟第二代会長就任(〜1991)
(1988年)
昭和63年
山口芸術短期大学退職
(1992年)
平成4年
同年死去
<藤川章造>二科会会員(山口県支部長)・防府市美術連盟第三代会長現顧問・高校講師 

 防府市出身のアーチストで「高校時代お世話になりました。」と言う人は多いことだろう。
 猫が好きで犬も好き。ピカソや香月泰雄の絵を、大切そうにではあるけれどなにげな感じで家に置いてあったりして、見てくれでは無く純粋に芸術を追い求める少年の心を感じる。しかしもう少しカッコを気にしても良いんじゃないかなあと、つい思ったりする。
 防府駅の南にある大っきなレリーフって、藤川先生の作品だって皆知ってますか?

仁川に生まれる
昭和10年 (1935年)
岡山大学教育学部特設美術課程第1期在学時
・東光会展 奨励賞第一席 
・日本水彩連盟展  みづゑ賞
・山口県美術展  教育委員会賞 
               を受賞
昭和32年 (1957年) 大学卒業教職に就く
・山口県美術展 文部大臣奨励賞受賞(防府市買い上げ)
・二科会展 特選受賞
・〃 ローマ賞受賞
・〃 会友賞受賞
(2003年)
平成15年 ・〃 会員賞受賞
 日韓親善文化交流として、毎年行なわれる防府市の姉妹都市の春川市との合同美術展の代表でも有る。

二科会会員

<下尾周男>(1935〜)洋画家・芳美会会員・キャンバス21代表・防府市美術連盟会長

 防府市を歩けば下尾先生のデザインに当たると行っても良いくらい、地域のグラフィックデザイナーとしての足跡を残して来た。
 マメできちんとしていて何をするにも仕事が早い。アナログ作業でありながら完成度が高い。個展をするたびに全てが新作だから、描き上げた作品の数も膨大である。一言で言えばプロ中のプロなのだ。
 面倒見の良い絵画講座の先生として馴染みを感じている人も多いかもしれない。面倒見が良すぎて損してしまう事も有る様だ。要領が良く無いからこそ、多くの教え子から慕われているのである。

昭和10年 (1935年) 神戸市灘に生まれる
昭和17年 (1942年) 戦時防府市へ疎開、現在に至る
昭和27年 (1952年) 基礎を洋画家、桂節郎先生に学ぶ
昭和33年 (1958年) 山口県初の商業デザイナーグループ結成(防府・下関)
昭和35年 (1960年) 山口県商業美術協会結成(1960→1970)
昭和37年 (1962年) 二科展デザイン部 奨励賞受賞(1958毎年出品)
昭和38年 (1963年) 山口国体スポーツ芸術展1位受賞
山口県美展 国体事務局長賞
昭和40年 (1965年) 山口県美展 県知事賞受賞
昭和41年 (1966年) 山口県美展 県議会議長賞受賞
二科展デザイン部 日本貿易振興会理事長賞受賞
昭和45年 (1970年) 二科展デザイン部 会友賞
昭和48年 (1973年) 二科展デザイン部会員推挙さる
昭和49年 (1974年) 二科展デザイン部審査員となる
昭和50年 (1975年) 山口県美術展審査員(1975→1980)
昭和53年 (1978年) 防府の文化を高める会美術部門 桂先生と同席表彰
山口県芸術文化奨励賞 デザイン部門初受賞
昭和61年 (1986年) 二科会デザイン部 会員努力賞
昭和63年 (1988年) 山口県美術展(改組) 優秀賞受賞
国際協力ポスター展 優秀賞
平成元年 (1989年) 山口県「魚」のイメージデザイン 優秀賞受賞
山口県美術展10年のあゆみ展出展
平成2年 (1990年) 全国交通安全ポスターコンクール1等賞受賞
1986ー日韓親善交流美術展 春川市・防府市で開催
平成5年 (1993年) 第24回個展 赤れんが
平成14年 (2002年) ふるさとのアーチスト展
山口県民文化祭 山口県立美術館
個展開催 第26回
平成19年 (2007年) 山口県周南市郷土美術資料館 尾崎正章記念館において2ヶ月に及ぶ個展「下尾周男デザイン展」を開催